ならず者航海記・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2003
 
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 7、トレイックの亡霊
 アルザスは地図を石版にかざした。思った通り、地面が大きく揺れて、水面に円い大きな飛び石が二つ現れ、そしてその向こうに四角い小島が現れた。アルザスは得意満面で鼻の下をこすった。
「へっへーん!やればできるな!」
リュックを背負いなおし、また地図を丁重にポケットに納めるとアルザスは、ろうそく一本を手に飛び石の近くに駆け寄る。島と飛び石の差は五十センチほどだ。
「よし!いくぜ!」
一人気合いを入れてアルザスは少し助走をつけてひょいっと飛び石まで飛び、着地する。何の造作もないことだ。飛び石は円くて大体これも直径が三メートルぐらいあった。向こうにも同じような円い飛び石がある。「ま、楽勝だね!」
 アルザスは鼻先で笑った。同じように五十センチ離れた飛び石を飛んで、向こうの小島までたどり着くのは実に簡単なことだった。文字通り楽勝である。手帳を開いて、さっきの写しを見る。×印は中央だった。
「これか?」
アルザスは細々としたろうそくの灯火を中央に向けて闇にすかしてみた。そこにはどうやら大きな柱が立っているようだった。石版によればその柱の中に×印があることになる。アルザスはその太い柱を一週ぐるりと回ってみた。どこにも忍び込めそうな隙間はない。コンコン叩いてみるが堅い。
「ちぇっ。また謎かけか?」
 とうとうアルザスもこの遺跡の仕掛けがわかってきた。これはテストなのだ。地図を持ってきた人間がどれほどここの謎を解いてくれるか・・・そしてどれほど勇気があり、またどれほど運の良い人間かという事を試されているのだと。ひょっとしたらこの遺跡やこの地図は古代トレイックの人間が、勇気と知恵ある若者を参加させて誰が勝利をつかむかを競わせて楽しむために造ったのかもしれない。アルザスは、トレイックという古代の人々に文句を言ってやりたくなった。
(いくら謎好きの人間でもこんな大がかりな命がけの謎解きゲームを考案するような奴らは性格が悪いぜ。)
 いい加減、この酔狂なゲームには嫌気がさす。・・とはいえ、アルザスは目の前に転がっている宝物を拝まずして帰るような性格でもなかった。ここまでの努力がもったいないし、好奇心も人一倍強いからだ。結局アルザスはゲームに残り、あまりひねったことのない頭を使うはめになるのだった。
「うーん、今度は何やれってんだろ。」
 ふと、ナイフで削ったようなメモが柱の上部に残っていた。幸い読める文字だが、古いのだろうか、こけのようなものが覆いつつある。その上に、訳の分からない文字がたくさん書かれていた。これは、それの抜粋の訳なんだろうか。アルザスはこけを払いつつ、光を照らして読み上げた。
「えっと、『真実をしるもの。常識を捨てよ。水は堅く、鉄は柔らかい。力ある者は無力となり、ただ目の前のくだらぬ何者にでもひざまずいて敬意を表す。汝、汝が常識を捨てよ。ならば、必ず道は開かれよう。』」
 意味が分からない。
「だからって何だって言うんだよ。」
アルザスは文句を言った。
「意味がわからねえよ。」
 頭をひねったところでなにも思いつかない。もともと、頭脳労働には向かない性格でもある。ムカッとしたアルザスは腹立ち紛れに思いっきり柱の下の部分ををけっ飛ばしてやった。
「この馬鹿野郎!最悪だ!」
 いつもなら・・・きっと、蹴り上げた足の方が痛んで、さんざんな目にあうはずだった。ところが、このときは・・・
「あ・・・あれ。」
 アルザスは、妙な感覚にそっと下を向いた。柔らかく、めり込むような感触が足に感じられただけでなく、足は、本当に柱にめり込んでいたのだ。
「『常識を捨てよ』・・・『ひざまずく』ってのは・・!?そうか!」
 アルザスは四つん這いになって、燭台をくわえ、柱の中に頭をつっこんだ。思った通りだ。柱は、とんでもなく柔らかいゲル状のもので、彼を充分通り抜けさせてくれそうだ。中は空間で、したに続く階段があった。
「よし!」
アルザスはさらに前に進もうとして、何かに引っかかった。リュックが上につっかえているのだ。どうやらこの空間のちょっとの上には本物の石の柱があるらしい。
「くそっ!」
アルザスは強引にリュックを通そうとした。一旦おろせば良かったのだろうが、そういった細やかな事には頭が回らなかった。時にその杜撰なやり方が失敗を招くこともある。
「わっ!」
急にリュックがするりと通った。勢いつけていたアルザスは正面から階段を転がる羽目になったのである。 
 
 フォーダートは、ライーザを抱えたまま、全速力で走っていた。彼も、足が速いというよりは逃げ足が速いほうなのだ。逃げなれている・・・というのはおかしいが、逃げ方にあの手下の青年と似た馴れを感じる。彼がどんな生活をしてきたのか何となくわかる気がした。
「ざまぁ見やがれ!」
フォーダートは後ろに向けて嘲笑を一つ送るが、彼らの姿は見えなかった。フォーダートは、脇道に入ると、先程と同じように壁に背をつけて向こうの様子をうかがっていた。
「動くなよ。」
 ライーザに一言言って彼女を下ろし、上がった息を無理矢理止め、息を押し殺した。向こうでバタバタという足音が聞こえ、遠ざかっていった。近づいてくる気配はない。連中はまっすぐ走っていったようだ。
 安心したのかフォーダートは壁にもたれかかったまま、ズルズルと座り込み、大きく息をついた。かなりぐったりしている。ライーザが小声で心配そうに訊いた。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫だよ。さすがのオレも・・人を抱えてあんな距離走ったのは初めてだぜ・・・。ちょっと疲れちまったかな・・・。」
暗い天上を見上げながらフォーダートは苦笑して、深呼吸を一つついた。そして、ゆっくりと起きあがった。
「そうだ・・・カンテラを・・・。」
「あ、これ・・・?」
ライーザは、それをフォーダートに渡す。彼はずるずると立ち上がるとしゃがみ込んでポケットから、マッチを取りだして火をつけようとした。
 その時、ライーザが思いきったように声をかけてきた。
「あの・・ありがと。助けてくれて・・」
ライーザの声にフォーダートは驚いたようだった。一瞬、彼女が何を言っているのかわからなかった。灯をつけるために擦ったマッチがポロリと指からこぼれる。
「え?」
「だ、だから・・助けてくれてありがとう・・って・・・言ったのよ。」
「あ・・・あぁ。」
フォーダートは、ようやく理解して、少し微笑んだようだった。照れ笑いだった。まだ火はついていないので、彼の表情はわからなかったが見えていたら、彼が少し照れたように髪の毛をぐしゃぐしゃにしているのがわかっただろう。
「い・・いや、別に大したことをしたわけじゃないし。それに、オレなんかが抱えて走ってしまってかえって迷惑じゃなかったかと思ってさ。」
「そんな事無いわよ。ありがとう。あなたがいなければあたし、殺されてたかも知れないし・・。」
ライーザは軽く頭を下げて、目の前の男を見上げた。薄暗い中で彼の深く青い瞳だけが彼女の瞳に映った。濁りっ気のないきれいな目だった。彼などに似つかわしくないような哀しみも何もかも飲み込むような綺麗で深い青さだった。ライーザは顔がパッとバラ色になったのに気付いて慌てて視線を男から外した。だが、幸か不幸か、フォーダートは彼女のそんなそぶりに一切気付くことはなかった。
「そ、そうかい?そう言ってもらえりゃ・・・オレも疲れただけの事はあるよ・・。」
 ぎこちなく「どういたしまして」を返したフォーダートは、ようやく灯をつけた。そして、彼女にカンテラを持たせて、彼特有の低くて良く通る声で言った。
「これはあんたが持ってな・・・。お嬢さん。オレにはいらねえから。」
「え?」
ライーザは思わず聞き返した。
「お仲間が壁の裏にいるよ。」
 フォーダートはチラリと反対側の壁の方を見、フッと笑った。それを聞いていた博士が銃を構えたまま、こちらに出てくる。いつになく真剣な表情だ。
「気付いていたのか?」
「ああ。さっき影がちらちらしてましたぜ、旦那。そんな物騒なものはしまってもらいたいねえ。」
フォーダートは軽く返した。
「お互い、こんな所で面倒は起こしたくねえだろう?ここからまっすぐ東に向かって歩けばこの迷宮から抜け出せる。それで逃げれば少なくともレッダーの本隊とはち合わせにならねえと思うぜ。」
「何だと?」
ネダー博士は不信感をあらわにした。どうして逆十字が逃げ出し方を教えてくれるのか理解できなかったのだ。彼もまた敵の筈なのである。
「オレは気まぐれでねえ、旦那。」
フォーダートは博士の心を読んだかのように応えた。口許にいたずらっぽい笑みが浮かんでいる。
「たまにはこういうサービスも必要でしょうが・・・・。それにオレは気に入ったヤツを見殺しにするのはイヤでね。まあ、信用するしねえは旦那とお嬢さんの自由だが。」
逆十字は二本余分に持っていたマッチの一本を口にくわえ、もう一本は手の中に残して置いた。
「あばよ。お嬢さん。」
 ライーザが何か言う前に逆十字はきびすを百八十度返して走っていき、あっという間に闇の中に溶けて完全に姿を消してしまった。元からいなかったかのように・・消えてしまった。
 博士はため息をついた。
「何てヤツだ・・・。理解できんよ。何もされなかったか?」
ネダーは横目でライーザを見た。ライーザは呆然としていたが、ようやくネダー博士の方を見て一言こういった。その目にいくらかの憧れじみたものが浮かんでいた。消えた男の背中に視線をずっとやったまま、ライーザはポツリと呟いた。
「命を・・・助けてもらったわ。」
 
 そこもとんでもなく暗かった。さっき頭からつっこんでしまったアルザスはしばらく階段を転げ落ちるというさんざんな目にあってようやくその狭くて暗い階段を抜けきったのであった。
「もう狭いところと階段と暗いところは絶対にはいらねえ・・・。」
ほとほとため息をついて彼が言ったのはそんなセリフである。
 ロウソクに火をつけてあたりを見回すとそこは広い岩のドームだった。上には、螺旋状に並べられた幾何学紋様の不思議なあざやかな色彩の絵が描かれていた。
「何だここは。終点か?」
アルザスは、それを見上げながら呟いた。すると、その時、その幾何学模様のちょうど真芯から光が降りてきた。同時に『声』が響く。
『ようこそ。われらが造りし最後の課題に・・・。』
アルザスは飛び上がった。振り返ったが誰もいない。もちろん前にも横にも誰もいない。だとしたら、この声は何だ。
「だ・・・誰だ!」
『私の名はバルザレウス・・・。トレイック王国の一級迷宮建築技師だ・・・。』
「バルザレウス・・・?」
どうも声は頭の中に直接響いてきたように思える。相手は勝手に続けた。もしかしたらアルザスの言葉など聞いていないのかも知れなかった。どういう事になっているのかわからない。もしかしたら、人がここに立ったら自動的にこうなるように仕掛けられているのかも知れない。
『我がトレイックの代表的ゲームだ。迷宮での宝探し。頼れるのは知恵と勇気のみ・・・。奴隷を何人か参加させ、誰が勝つかを賭ける。だが、わたしはそれだけでは物足りなく思っていた。所詮賭など一瞬のお遊びだ。それではつまらない。私は未来の人間までがこの迷宮・・そして秘宝を探すために命を賭けるような壮大なゲームにしたかったのだ。だから私は博士シュエルダーと相談し・・彼らの造った秘宝の探知機をこの迷宮に埋めることにしたのだ。失われた魔法の力を駆使した素晴らしいものだ。地図はカーバック神殿に。羅針盤はこの迷宮の中にと二つにわけて置くことにした。そして、地図のないものはここに入れないように造ったのだ。』
 声はまだ続けた。
『よくぞ来た。そなたの知恵と勇気に敬意を表しよう。だが、残念だった。このゲームはすでに終了しているのだ・・、勇士よ。お前は二番目だ。もう羅針盤はここにはない・・。』
「ない?」
アルザスが叫んだとき、もう一つの声が・・・今度は直接耳に響いた。
「そうだ。坊や・・・。もうここにはない!」
 すさまじい銃声が直後、アルザスの耳をつんざいた。そのまま思わず後ろに倒れ込む。起きあがって上を見上げれば、予想通りの男がこちらを見下ろしていた。
「逆十字のフォーダート!」
アルザスは大きな驚きと共にこう叫んだ。
「てめえ・・・!どうしてここに・・・!」
 フォーダートはその問いに答えようとはしなかった。ただ冷たい青い目がこちらを静かに見ている。
「イイ線行ってたがな・・・、小僧。残念だったな。褒めてやらぁ。」
 アルザスはさっと顔が青ざめるのを感じた。もっともフォーダートの顔色もアルザスにまけず劣らず青かった。だが、恐怖しているようでも逆上しているようでもなかった。ただ、なにか妙に機械的で不気味だった。氷のような、蝋人形のような顔だとアルザスは感じた。
「今の内なら間に合うぜ・・。小僧、地図を渡しな・・。オレはここまで待ってやったんだ・・・。お前がここに来てあの羅針盤が無いことを知れば、いくらお前でも諦めるはずだ・・・。だからオレはお前を泳がせてやったんだ。」
「な・・・なぜ・・・なぜ、あんたは地図が欲しいんだっ!」
アルザスは彼を睨みつけるようにして尋ねた。
「それに応えている暇はねえな・・・。この迷宮は終点に入って十分経てば崩れ出すように設定されているのさ。制作者の意地悪だよ。崩れたあと、すぐに自動的に再生されるようにプログラムされているんだ。入り口でしゃれこうべがゴロゴロしているのを見ただろう?アレがそれさ。この迷宮から羅針盤を持って脱出できたヤツがほとんどいなかったのはそのせいだ。ゲームだといっただろう?オレ達は、奴らの手のひらで踊ってるだけにすぎねぇ。」
「そ・・・そんなこと。どうでもいいぜ!」
アルザスは逆十字の一方的な話を遮った。
「オレはあんたに聞いてるんだ!どうして地図が欲しいんだ!?はっきり答えろ!」
逆十字は珍しくニヤリともせず、静かに低い声で答えた。
「宿命だな・・・。宿命としかいいようがねえ。」
 逆十字はぴたりと銃を突きつけたまま、アルザスに近寄った。アルザスも地面に手をつけたまま、後退する。ドンと背中に衝撃を感じ、アルザスは振り返った。そこには岩の壁があるだけだ。もう逃げ場はなかった。
「さあ、渡しな。命にはかえられねえだろう?お前にはまだチャンスはある。今回は諦めろ。」
「イヤだっ!」
間髪入れずにアルザスは言った。
「このままあんたに屈するなんて死んでもイヤだ!!だから、絶対に渡さない!」
「強情なヤツだ!考えても見ろ。この地図を持っていたらあちらこちらから狙われるんだぞ!お前だけじゃねえ。てめえだけなら何とかなるだろうが、あの連れの女の子はどうするんだ。てめえはあの娘まで手がまわらねえだろうが!オレが助けなかったらあの娘は大佐に捕まってたんだぞ!何かあったら、どう責任取るつもりだ!?」
 フォーダートの口調が厳しくなった。言われてアルザスはハッとして黙り込んだ。今まで、余りにも夢中でライーザのことを考えていなかったのだ。いや、考えられなかった。
「で・・・でも・・。」
 アルザスはこんな時ライーザがどういうだろうかと考えながら言葉を選んだ。その時、ふとライーザの声が聞こえた気がした。ライーザはかばわれるのも気にされるのも嫌いだと言っているようだった。昔からいつもそうだった。アルザスは意を決して口を開いた。押さえたような声になっていた。
「・・・ダメだ!それでも渡すわけにはいかない・・・。あいつも渡すなというはずだ・・・」
 フォーダートは傷の入った方の右目の眉をヒクッと引きつらせた。そして、心外そうにこういった。
「なるほど・・・。全く強情だよ!オレはこんな真似したくなかったんだがな!」
 ガチャッ・・・冷たい音が岩屋に響いた。フォーダートが拳銃の撃鉄を起こしたのだ。アルザスは、身を固くした。引き金が彼の手に掛かり、それをそのまま、アルザスの額に押しつける。
「オレはなるべく血は流さねえ主義だが・・・お前の返答次第では引き金を引くぞ・・。」
 その瞳は氷のように冷たく、鋭かった。そう、フォーダートは本気だ。アルザスは直感的にそれを感じて黙り込んだ。逆らえば消される。
「返答を訊こうか・・・・。小僧。」
フォーダートは表情を全く動かさなかった。アルザスは、顔の血が一気にひいたような気がした。おそらく、渡さなければ殺される・・。でも・・・渡したくない。鼓動の音が、うるさいほど響いていた。彼は張り付けられたように、フォーダートを見ていた。
「さあ・・。」
 逆十字の青い瞳がアルザスの目に映った。一瞬、信じられないほど穏やかな光がその目をよぎったような気がした。直後、彼は、自分でも信じられないことを口走っていた。
「わかったぞ!あんた・・・オレを殺す気はないな?」
「何だと!」
 フォーダートの表情がさっと変わった。アルザスはもう一度言った。もう自分でも何を言っているのかわからなかった。
「そうだ!あんたはオレを殺せるような冷酷な男じゃない!これはただの脅しだ。あんた・・・オレを殺すような悪党じゃない・・・!」
 言われて、フォーダートは血が逆流するような衝撃を受けた。目の前の少年が言ったことが、彼の心のどこかを突いた。まるで突き動かされるようにフォーダートは、アルザスの胸ぐらを掴んで怒鳴りつけていた。
「何だと!!何をいってやがる!」
 アルザスは、自分で言ったことにも驚いていたが、それ以上に相手の反応について驚愕していた。フォーダートは、間違いなく我を失っていた。目が泳ぎ、アルザスをつかむ左手が激しくふるえていた。
「違う・・オレは・・・そんな甘い奴じゃない!オレは何だってやってやる!!オレは・・最低の人間なんだよ!!!お前みたいなガキだろうが、なんだろうが・・・殺すことにためらいなんかねえ!」
 いきなり、フォーダートはアルザスを壁に向けて押し飛ばした。そして、両手で拳銃を握りしめて構え直して押しつける。
「証拠を見せてやる!」
アルザスは額に冷たくかたい鉄の感触を感じて、思わず目をつぶった。
 自分でもなんて馬鹿なことを口走ったものかと後悔していた。どうして彼がこんな風に怒ったのかどうかはわからなかったが、状況を悪化させただけのあの一言を呪いたい気分だった。もう終わりだ。きっと、撃たれて殺される。
 フォーダートは今は冷静さを失っている。トリガーにかけた指が少し動いた。
 
 ダーン・・・
   ・・・・・・
 銃声は聞こえたのに、何も起こらないなとアルザスはゆっくり目を開けて前の逆十字のフォーダートを見た。彼はトリガーから手を離しており、その銃口からは煙すら出ていない。撃鉄も起きたままだった。
 今の銃声は彼の銃の物ではないのだ。アルザスは呆然として銃声の聞こえた方を見つめているフォーダートを見た。その視線を受け、彼はハッとして後ずさる。
「あ・・あばよ。小僧!今日の所はこれまでだ!」
「あ・・・おいっ!」
アルザスの声も聞かず、フォーダートは背後の岩壁に向かって走り出した。彼はその壁にぶつからずするりと壁をすり抜けて消えてしまった。
 
「おいおい・・・。おかしら遅いぞ。大丈夫かな?」
「そんな事いっても・・・」
 手下二人はおかしらに指示されたとおり、石のエレベーターの前に立っていた。
「ここ・・・がいこつばっかりだし、早く戻ってきてくれねえかなあ・・。」
この二人は、あの時、穴に飛び込まず、逆にここまで戻ってきていたのである。廊下に骨が散らばっているので何だかイヤなムードだ。
 その時、前から人影が走ってきた。そこに現れたのは間違いなく彼らのおかしらである。
「あっ・・帰ってきたよ。ティース。」
ディオールが素直に喚起の声を上げ、ティースはおかしらの様子を見ていた。フォーダートの顔がカンテラの灯に照らされた。ここまで走ってきたにもかかわらず、彼の顔は真っ青だった。
「おかしら・・・?」
ティースがおそるおそる訊いた。ティースはフォーダートが誰か殺しでもしたのではないかと心配したのだ。
「おかしら・・・何かあったんですか?もしかして・・あのガキ・・殺しちまったりしてねえですよね?」
「図星をさされたよ。」
苦笑しながら言って、フォーダートはエレベーターには乗らず、右の方に歩き出した。エレベーターから通って表に出たらもしかしたら大佐の兵士がいるかも知れないと思ったのだ。
「え?なんです?」
「まいったよなあ・・・。あんなガキに読まれるとは・・」
おかしらはため息をついた。しかし、あそこで引き金を引かなくて良かった・・とも思っていた。自分は思うほど非情でもないらしかった。先程は、それを指摘されてあれほど嫌悪感がこみあげてきたにも関わらず、今は甘い自分が何となく好きだった。
「実はガキに銃向けたのは初めてだったんだ。動揺したつもりはなかったんだが・・・見破られちまったよ。・・・オレは一生、一流にはなれねえよ。」
手下二人にはさっぱり意味が分からなかったが、おかしらは気が済んだのかいつものようにニヤリとした。
「さて、逃げるぜ。そろそろ、ここも崩れる。ここからまっすぐに行けば抜け道があるんだよ。」
「え・・崩れるって・・?」
 ディオールの問いに答えるでもなく、おかしらは再び走り出した。
(全く・・・。あの腹の立つ物言い・・オレのガキの頃とよく似てるよ。)
フォーダートは、苦笑いしていた。自分があの少年を撃てなかった理由・・・それは相手が子供だったからでもあり、そして、一瞬、自分の昔を思い出したからでもあったからだということを・・・。やはり、まだ過去の亡霊は、彼を解き放ちはしなかった。それが良いことなのか、悪いことなのか、どちらかは今の彼にはわからない。ただ、苦笑いすることだけが許されていた。
 ・・・過去の亡霊・・・それは、過去の自分自身・・・。
 
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素材:トリスの市場
akihiko wataragi presents
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